ライオンズクラブ国際協会 333-E地区キャビネット (茨城)

Lions Clubs District 333-E

3/25潮来LC(講師例会活動)

3/25 第280回通常例会(講演会活動)
 今回の例会では、東 権宮司(鹿島神宮)に貴重なお話をいただきました。演題は「鹿島神宮の由来について」で、現在は「~神宮」と名乗る神社は沢山ありますが、江戸時代以前は神宮といえば伊勢神宮と、この香取神宮と鹿島神宮、合わせて3つの神社のみが神宮と呼ばれていました。皇祖神を祀る伊勢神宮は別格としても、現在でも香取神宮と鹿島神宮に対する皇室の崇敬は格別のもので、毎年元旦の早朝に天皇陛下は東方を向いてこの両神宮に御拝なさいます。
「神宮」というのは「宮」という王の住居を表す言葉が入っていることからも、大王や王権の成り立ちと深い関係にある特別の神社のことなのでしょう。大和王権を成り立たせていたものは東国との繋がりであり、それは初期においては東海地方との繋がりであったので、東海進出の拠点であった伊勢神宮は特別に重要な神社であったのであり、おそらくは最初は伊勢神宮のみが「神宮」であったのでしょう。それが7世紀半ばになって大和王権が関東や東北も含めた「日本」という統一権力へ脱皮しようとする際に、関東や東北への進出の拠点となったのが香取と鹿島であったので、この地にあった両神宮が伊勢神宮に並んで「神宮」と呼ばれるようになったのでしょう。ですから、7世紀前半以前の香取神宮や鹿島神宮は現在のような国家鎮護の神社ではなく、もっと違った意味合いのものであったと思われます。ただ、古くから重要拠点であったのも確かで、それだからこそ7世紀半ばに特別扱いされることにもなったのだといえます。鹿島神宮にはもう一つ鹿島灘の海辺(明石の浜)に東一の鳥居が建っています。この鳥居が何時ごろ建てられたものかはっきりしませんが、レイライン(太陽の道)を研究する人々にとっては大変重要な位置関係にあるようである。夏至の太陽が東一の鳥居より昇り、冬至の太陽が沈む方向には富士山と伊勢神宮があります。また、陰陽五行のお話も詳しく述べられていました。 「古を学ぶことは、今を知ることであり過ちを学び誇りを学ぶ事である」 We Serve

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